能登半島地震でお亡くなりになられた方、ご冥福をお祈り申し上げます
被災された方に心からお見舞い申し上げます
いつなにが起きるかわからないと覚悟して生きているつもりだった。本当に覚悟が出来ていたのかと自問する。自然災害に対しての備えもまともにやっていないじゃないか。全然だめじゃん自分…と思い知らされた正月だった。
私は日常を過ごしている。いまが日常であることをかみしめながら過ごしている。
私はなんだかんだ幸せだ。つらいことや苦しいこともあるけれど、幸せに生きている。
子ども頃は、自分の不幸を忌まわしく思ったこともあった。
教室で比べられながら私は、自分の愚かさを嘆き、テストの点数を見てはため息をつく母を疎ましく思った。欲しいものを買ってくれないことに苛立ち、貧乏を恨んだ。
他人と比べるたびに不幸せになっていく。他人のものさしではかられることを嫌っていたのに、自分も他人と比べていると気付いたとき、不幸せから解放された。家庭から教室へ、教室から会社へ、世の中がひろがっていくほどに楽になっていた。
それでも、女というカテゴリーには理不尽なことがたくさんある時代だった。今でこそパワハラ、セクハラと言えるようになったが、パワハラセクハラの中で育った私たちはいつも悔しさを抱えていた。
やっと、肩の力を抜いて生きられるようになった。それから、幸せを感じるようになった。ご飯を食べるのも幸せだし、風呂に入れるのも幸せだ。布団で眠れるのも幸せ、朝が来るもの幸せ。仕事があるのも幸せ、酒が飲めるのも、歌えるのも、友達と会話できるのも幸せ。
だけど、この幸せがいつか突然なくなってしまうかもしれない。
それは寿命かもしれないし、突然事故かもしれない。残された荷物の整理は、遺品の整理と呼ぶ。荷物は少なくしておこうと、現在いろいろ処分中である。いやはや、マジで無駄なものが多すぎる。(←ダメじゃん)
それが、もし、ライフラインの遮断だったとしたら、どうだろう。個人にどこまで備えられるのだろう。極限状態では災害関連死も起こる。私に耐えられる力はあるのだろうか。老人のような体力…それ以下かもしれない。(←全然ダメじゃん)
もしくはそれは、資産課税かもしれないし、銀行封鎖かもしれない。リスク分散は必要だろう。投資はどうだろう。マイナンバーで紐づけされているから預金と同じ扱いだろうか。非課税保有が売りのNISAで課税するのだろうか。経済がよくなるために私も頑張んなきゃ。(←なにを頑張るん?)
日常が日常であるために、私も今年なんだかんだ備えようと考えながら正月を過ごしている。
最後になりましたが、みなさまのご健康とご多幸をお祈りいたします