子どもの頃は楽しかったゴールデンウィーク!大人になって楽しみ半分、不満半分。
ゴールデンウィークは稼ぎ時!休めないって人もいる。私も若いとき、友達や彼氏と遊びたくても遊べない経験した。
だから、祝日休めない職業に就いている方々へは申し訳ない気持ちがある。
この世はいつもそうだ。
私がすべき仕事を誰かが変わりやってくれる。そんな恩恵を受けているのだ。
子どもの頃、父がよくこう言った。
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「じゃあ、おまえ作れるか?」
川を渡る橋は誰が作った?列車が通るためのレールは誰が作った?
使い捨てなのに100円ライターは高いような気がするとかほざけば
「おまえは100円でライターが作れるのか?」
という問いである。
ゴールデンウィークになると思い出す。この世のすべては私のためにあるのではなく、私が恩恵を受けているだけなのだと。
自分が出来ないことを対価で支払う。もちろん、取捨選択できないときだってある。
地震 雷 火事 親父。
怖いものの例えだが、自力で防げるものがあるだろうか。
「親父」はなにを指すか?なんて話をしたいんじゃない。私なりに解釈しているのは…
子は親を選べない
ということ。親だって子を選べないじゃないかって思う。確かに選べない。(遺伝子操作とかそういったレベルは除外。)
そして、世の中に流布している血液型分類。私はこれに辟易している。
献血の話じゃない。占いレベルの血液型分類。
私は常に
性格は血と環境と生い立ちで変わる
と考えている。(昔、明石家さんまがラジオ番組でよく言っていた言葉である。)
これも選べるものじゃない。だから、「親父」なのである。
親父は子を変えることができる。でもその反対はかなり難しい。
よって、与えられて「よかった」と思えるならば恩恵を受けていると考える。
このトマトが旨かったのは、作った環境と作った人とそれをこの店に卸した人たち。陳列棚に並べてくれる人たちである。
ゴールデンウィークに仕事されている方々に感謝しつつ今日も遅くまで寝てグダグダしている私。
誰かに申し訳ないなと思いつつ連休中グダグダ過ごしている。グダグダしているのが楽しいかといえば楽しみ半分、悔い半分である。