桜との相性?感性の鈍化?真相は…散り際

ここ何年か、桜と自分の相性が合わない。いや、原因が相性なのか、老化による感性の鈍化なのかわからない。

相性が合わないと表現したが、なにが言いたいのかというと、桜の花をきれいと感じないのだ。

これはやばい。最近はスマホで写真を撮っている。いつでも写せるからすごく便利なのだが、桜を被写体にした時、納得できる写真が撮れない。(そもそも満足な写真なんて撮れたことないのだから、今更どってことねえだろうって言われればそうなのだが…へへ(苦笑)。)

よって、桜の花を見ても心から「きれい」と感じないまま写している。桜と距離を感じるような隔たり感、桜との間にあるフィルターが邪魔をしているような感じなのだ。

何年か前に、すごくきれいな桜の花を見たと書いたことがある。少なくともその時までは美しいと思えていた。

なぜだろう。老化のせいか?それは否めない。単調な生活をしている。仕事に行って帰ったら飯食って寝る(漫画は読むけど)。かなりのインドア派である。出かけるときは必要最小限の買い物をする時だけ。人とほとんど会わない。感性はどんどん鈍化していくのもわかる。

けれど、本当に感性のせいなのか。

確かに、新しいことに興味がない。刺激的なことは避けている。できるだけ面倒な関係性の人に会いたくない。長年の友人関係も整理した。うつっぽい状態がずっと続いている。

あるヘルスケアサイトの「うつ診断」をやってみた。結果は「抑うつ傾向」と出た。軽症うつらしい。マジか。

抑うつ傾向にあるから感性が鈍化したんだよ。だから桜見ても「きれい」と感じないし、感動がないんだ…それだけなのか?

真相は、桜の色の変化にあった。咲き始めの桜は、白い。散り際は、ピンクになる。

今年の桜は咲き始めてから満開になるまで一気だった。先週末に花見をした。まだ白っぽい桜だった。3日程前あたりから桜を眺めるとなんとなくきれいに感じた。

そして、昨日見た桜はピンクだった。

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感動が薄れたのは感性の鈍化もあるだろうし、抑うつ傾向が関係しているのだろう。相性の点においては好みの問題だったようだ。

きっと、今の私は散り際の桜が好きなのでしょう。散り際が近くなった自分を投影しているのかもしれない。