용화(ヨンファ)って(その2)

前回の「용화(ヨンファ)って」の投稿について、息子に話したところ、「ライブが生演奏のみかどうかはアーティストの自由で、これはCNBLUEだけの話でなく、そのこだわりは年代の差からくるものじゃないか」と言われた。

確かに、私のライブに対するイメージは1990年代初期のままだ。ストリートやインディーズの始まりくらいで私の音楽は止まった。だから、オルタナティブロックに、70年代のようなロックらしいロックな印象を持っていた。ブリットポップとかミクスチャーロックとかテクノの時代はほとんど聴いていない。そして、デジタル要素の入った音楽には疎いのだ。それでもDTMがどんなものかは知っている。MIDIシーケンサーを使ったことがある。

だから、PCと同期して演奏する、マニピュレーター(生演奏代わりのデータ作成したり編集したり、当日演奏(同期)担当する仕事)とかなんとなくはわかるんだけど。それがライブとしてお客が喜ぶ(=いい)ものだったら、究極生演奏生歌なんてやらなくてもいいじゃない的な流れがいまいち理解できない。

リップシンクだってOKってことでしょう?そしたら、シンクが芸術的だ!って評価になって、パフォーマンスだけやってりゃいいんじゃね的な流れに。っで、いっそもう生身の人間がやらなくてもいいじゃん、とみんなボーカロイド使っちゃう。それでミュージシャンは作るだけの人になる。そのうち自動作曲がメインになってきて、コンピュータは凄いいい曲作るわ、人間ってダメだねみたいになっていく?(笑)う~ん、さすがにそれはないか。ないと信じたい。

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CNBLUEがそこまでやっているとは思ってない。ちゃんと演奏しているようだし、わざと(?)かわからないけど、ヨンファは自由に歌っているように見えるし。だから、もったいないと思う。作りものの音でライブ感が薄れる。

いいものって感じる感性って人それぞれだし、それはそれでありだと思う。私が好きじゃないだけ。もっと乱暴で古い雑居ビルのような場所で泥臭く叫ぶ「おれは生きてるんだ!」魂の叫び感が好きなだけ。

じゃ、CNBLUEは違うんじゃね?綺麗だよね?泥臭くないよね?そこまで哀愁漂ってないよね?

そうなんですよ。違うのにCNBLUEにそれを求めてしまうのはなぜでしょう。彼らがいろんなジャンルの曲を発表しているからでしょうか。ごめんなさい。答えはありません。

ライブ見に来て。そういう彼らに魂の叫びを感じとっている私はもはや変なのかも。行ったこともないのに(笑)。